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おんでニャさいと

ここでしかできないこともあるんだ!ということを三戸に戻って来て感じています

冷水 堯(ぎょう)
非営利ダンス振興団体Jin-beeFUNK / 代表

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プロフィール

青森県三戸町出身。中学、高校と陸上競技、ラグビーに打ち込み、身体のケアや練習メニューの作成などのポジション を経験。八戸西高等学校卒業後、宇都宮大学へ進学し、ストリートダンスと出会う。 サークル活動を通して、栃木県内や関東の高校生、大学生と交流し、2011年栃木学生ダンス連盟Def Fectを創設。 高校生や大学生への技術指導やダンスショーケースの監督を経験し、イベントの運営やプレイヤーとしても活動を行っ た。 現在、岩手県二戸市において社会人中心の非営利ダンス振興団体Jin-beeFUNKの代表を務め、レッスンやワーク ショップなど様々な地域で活動中。

冷水氏
親子リズム体操の講師をつとめる冷水さん (撮影地:南部町)

就職してからの1年は頭も狂ってるんですよね..

大学卒業後から三戸に帰ってくるまでのことを教えていただけますか?三戸に帰って来た理由、きっかけなども差し支えない範囲で。。

冷水 : 三戸に帰ってきたのは、うつ病になったからです。

大学を卒業してから栃木県内で就職しました。
その仕事は結構たいへんな仕事で、1日8時間ずっと一人で山を歩きっぱなしでした。
結果的にはこれがメンタルにかなり来たんじゃないかと思っています。

いくら山を歩くことには慣れているとはいえ、納期がある中で一人でずっと歩いているのがきつかったんだと思います。

あと、自分の中でダンスとの向き合い方に疑問ができてきた時期でもあったんです。
ずっと熱意を持ってやっきたものに対して、これからどうしてうやって行けばいいのか?という気持ちが生まれた時期でした。

仕事は手を抜かずにやっていました。でも、就職してからの1年は頭も狂ってるんですよね..

一日のスケジュールはこんな感じです。
林業関係の仕事なので朝が早いのです。朝5時に起きて、6時に出勤して朝残業。
夕方5時まで仕事をした後はいったん家に帰って、7時には1時間かけてダンスの練習場所に行って、
午前2時まで練習して帰ってきて3時。それから寝て、という生活をほぼ1年していました。

就職してからもダンスは続けていたのですね?

冷水 :そうです。もう走って行かないと、これまで取り組んできたものが全部流れてしまうと思ったので、それらすべてを自分の生活の中に組み込んだんです。先輩たちは働きながらそういう生活をしていて、それなら自分もできないはずがない!と思って、ずっとそういう生活をしていたんです。

でも、ずっと歩いているんです。
山の中を歩くし、踊ってるし。そんな生活を1年間やっていると、常に眠いですし、頭も働きません。
そうしたらついに山の中で動けなくなってしまいました。

その頃はもともとメンタル的にいろんなことで弱くなっていたと思いますが、
山の中で動けなくなった時に一気に決壊してしまいました。

その後、お仕事には復帰したのですか?

冷水 :半年間、仕事を休んでいました。
休んでいる間は家にいても落ち着かないんです。
常に身体を動かさないとダメなんじゃないかという気持ちになってしまって。
仕事は休んでいるのですが、夜はダンスに行っていました。

本当は自分はおかしいのに、おかしくないと思っているんです。
だから次の仕事をさがさなくちゃいけないと思って転職活動もずっとしていました。
でも、そんな状況ではどこにも採用されるはずがないんですよ。

そんな生活を半年した頃、親が「帰ってきたら?」と言ってくれて、三戸町に帰ってきました。
大学時代から住んでいた栃木に骨を埋める、ぐらいの気持ちではいたんですけどね..

たぶん、もう栃木を離れたかったんじゃないかな?
今、思うとですけど..

ダンスに関わっていれば何かあるんじゃないかと思っていました。

そのような状況で三戸に帰ってきて、しばらくは休もうとお考えでしたか?

冷水 :重度のうつ病ではありませんでした。栃木でも仕事はしない、けど、ダンスはしていましたし。。
だから親には「働く働く」と言っていましたから、両親もそう思っていたと思います。

でも、帰ってきてからも、とにかく普通の状態ではなかったようです。
友達に言われたのですが、帰って来た当初は今のようにはしゃべることができなかったようですね。
もともとしゃべるのは好きだったのに、ずっと黙ってしゃべらないし、反応しなかった。

そんななか、それでも仕事は探していて、地元に面白そうな会社ができていたので連絡しました。
そして一応採用されて働き出しました。

三戸町ではそんなに時間をかけて転職活動をしたわけではないのですね?

冷水 :そうですね。ひとつ連絡してみたら決まったので。

どのような仕事についたのですか?

冷水 :電話をかける仕事でした。ひたすら一日中電話をかけていました。

実はその時もうつ病は治っていませんでした。
その会社の人と今会ったら、全然印象が違うと思うんですよ。
「え!こんな人だったの?!」みたいな。

いつぐらいに本来の自分をとりもどしたと感じましたか?

冷水 :電話をかける仕事だったので喋らなきゃいけない。仕事でしゃべるうちに。
また、こちらに戻って来てからもダンスに関わっていれば何かあるんじゃないかと思って、いろいろな人と絡んでいくうちに治ったような気がします。

しゃべり方だとか性格的なものが戻ったね、とまわりの人から言ってもらえるまでには随分と時間がかかりましたね。
_DSC0072
あっという間にレッスン参加者の心をつかむ冷水さん 表情は明るくやわらかい

自分に何ができるかをわかっていること。大事だと思います

三戸に戻って来てよかったですか?

冷水 :戻ってきてよかったかどうかは後々わかるんだろうな、と思います。
戻ってきて感じているのは、ここでしかできないこともあるんだ!ということですね。
今はここでいろんなことをするべきなんだろうな、という気はしますね。

関東に住むのと、三戸町に住むのでは収入に差がありますか?

冷水 :収入の差はありますね。アルバイトひとつとっても最低賃金が全然違います。

地方に来ると仕事が少ない、職種が少ないなかで何かを選ばなくてはいけません。
でも、結局、自分がそこで何ができるのか?ということ客観的に見つめることができていないと、どこに行っても仕事はできないと思います。

自分に何ができるかをわかっていること。大事だと思います。

自分はダンスをしてきました。
じゃ、そのレベルは全国レベル?いや、そうじゃない。
でもこういうレベルで、こういう経験をしてきたから、こういう仕事ができるだろうということが見えています。

でも、自分ができることをわかっていても、すぐに収入につながるわけではありません。
それを売り込むことも必要です。飛び込む勇気がないと仕事にも収入にもつながらないと思いますね。

あと、田舎に移り住むことを考えると、例えば関東では必要のないものにお金がかかったりします。
田舎暮らしでは車が必需品になりますが、北国では雪が降ります。するとスタッドレスタイヤを買わなくてはいけません。

こっちのほうがお金がかかる部分もあるのです。
それをわかって、それに見合った収入を得ることが自分にできるのか?
そこを見極めないと地方への移住はできないんじゃないかな?

今とは違うどこかへ移住することを、人生のプラスにするための心構えがあると思いますか?

冷水 :自分の場合は小、中、高、大学とどんどん大きな世界に出て行きました。
今までと違う世界で必要になることを学んできたと思います。それから自分の売りになることを身につけてきたと思います。

誰もが経験の中からそういうものを持っていると思うので、
それをどうやって活かすか?活かせるか?を考え、行動することが大切ですね。

冷水さんの熱気に時間を忘れて長時間に渡ったインタビューは、まだまだ続きます。
後日掲載するPart2では現在の活動を通して感じるジレンマや本音の吐露、そして地元・三戸町への愛情を聞くことができました。ご期待ください。

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